COLUMN

2020/2/15

Rin Nagashima wrote.

三兄弟の死

2020 Feb.13
Rin Nagashima

中学の入学式の後、家族と吉野桜を見に行った帰りに、スコティッシュフォールドという3 匹の子猫をもらった。「え、なんで耳ないん!?」と友達が驚いていたのを思い出す。こいつあんま り猫見た事ないんだろうなと半分イラっとしたが、自分がその友達になってこの猫を見た想像す ると、確かにビックリするだろうと面白くなった。耳が小指の先よりも小さくてそれがペッチャ ンコに折れている。まるで顔全体がヘルメットみたいなオシャレな猫だ。
今でも両手であのモフモフの体ををぎゅっとしたくなる白黒の猫、モックン。ちょうどこ の頃、”おくりびと”の映画が流行っており、メインの俳優がモックンだったから兄がそう名付け た。兄のネーミングセンスはとてもいいと思っている。ある日モックンは家の前で車にはねられ て、母が庭に植えたヒョロヒョロの桜の樹の下に埋めた。モックンの体は桜の木の一部になるら しい。そんな感じの事を言っていた。母は時々、悲しいロマンチックな詩人になっている。モッ クンが死んだ次の年から、あの弱そうな桜の枝はどんどん大きくなり花を咲かすようになった。 不思議だけど、不思議ではない。毎年ふと忘れた頃に桜のモックンが花を咲かす。
モックンのお姉さん。黒と茶色でクマみたいだから、クマと私が名付けた。クマはその頃 毎朝家の前を散歩していた夫婦に懐いては、二人が通りそうな時間になると外へ出て行き精一杯 甘えていた。すぐに夫婦はどうしても譲って欲しいと言いだし、母はクマをあげてしまった。そ の時はすごく悲しかったけど、毎日その家で猫の缶詰をもらってるとか爪も整えてもらっている なんか聞くと、クマは幸せなところに行ったんだと思えた。私の家の猫は毎日カリカリや蛇や鳥 を食べるのが普通だったからクマはもう他の家の猫になっていた。悲しい気持ちが無くなって 行った。しばらくしてクマは死んだらしい。原因はわからない。だけど今でも毎朝その夫婦は私 の家の前で手を合わせてそして散歩の続きをするのを私は知っている。
他の2匹よりも毛が短くてあまり懐かなかった三毛模様のザクラ。吉野桜(ヨシノザクラ) から名付けた。母も私もザクラちゃんと呼んでいた。桃やメロンといった私の家での”高級フルー ツ”が好きで、いただきますは言わないけどごちそうさまを両足揃えて言う品のある猫だった。ア イラインがスッと伸びていて、触るとよく怒っていた。ある時、ザクラの体は癌だらけになっ た。左ほっぺが破裂しそうな風船のようにカチカチに膨らんだ。そしてある夜、音を立てないで それは破裂したらしく次の朝には目までほぼ見えなくなってしまった。屋根裏の柱の上にこもる 日が多くなり、夜中いきなり「オォーーーーーン」とあの怖いサイレンのような遠吠えが家中響 く。こんなに声を出せるのか。ザクラは何かを知らせていた。みんな大体わかっていた。猫のお 医者さんは安楽死という選択もくれたが、悩んでいた母の横で私は反対した。

満月の夜の次の日みんなのいるリビングでザクラは動かなくなった。この日東京の空は晴 れていて、八百屋さんの向かいにはまだ2月なのに桜が咲いていた。どこに行くんだろう。

 

Rin Nagashima: 15歳で単身アメリカへ渡り高校、大学でアートを学び、カナダ・アメリカ・中南米を一人旅し独創性に満ちた作品を次々と生み出す。百貨店催事等を中心に自らのアートを配したオリジナルの洋服を展開し多くの支持を得る、24歳。